にきび跡が遺す最も恐ろしい烙印とは?

共通する行動

 

恐らく私に限らず多くのニキビで悩んだことのある経験者が、今はたくさん解決策を調べる事ができるので、肌の改善方法について何かしらのリサーチを行っています。

モチロン、誰しもが出来るだけ簡単に早くスムーズな解決を望んでいるので、悩みの深さとは裏腹に安直な答えを求めます。

私は、最初ニキビを気にしている事すら女々しく感じて、周囲に悟られない様にコッソリと薬局のにきびコーナーで一人悩んでこず会を消費していく日々を送りました。

にきびの違和感に耐え切れず、自分で潰しては、血まみれのティッシュで痛みを我慢して膿を絞り、後を隠すために、母親のファンデーションを少し拝借していました。

の繰り返し・・・。無限ループです。

モチロン正しいニキビの治療法ではありません

後にはブラマヨ吉田さん程のブツブツではないが笑えないクレーターが残りました。

人と対面で話をすると大人であれば大概、相手の顔を見て話しをするものです。

対人コミュニケーションにおいて当然の行為が私を苦しめました。

もう視線が気になって気になって、仕方がありません。

いつも肌のクレーターを「どう思っているんだろう?」「なんでじっと見てんだ?」「汚いのかな?」と笑いながら会話していても悲観的思考にとらわれる毎日を送りました。

周囲の人はデブにダイエット法を相談しません。

しかし何故かにきび面には普通に美肌の相談をしてきます。

「そりゃいっぱい調べてるけど・・・。」て、なんか専門家の様に周囲に扱われて意味不明でした。

 

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悩み続ける男

正しい努力

私の場合、学生時代におでこニキビに鼻にきび。少し良くなっても跡に残って、再発する。というようなループを送っていましたので、その内に気持ちの方が「もういいか。」って萎えていくのを感じましたが、のちに大きな間違いであることに気付きました。

何のプライド?見栄え?男気?拘り?・・・、

とにかく取るに足らない物に振り回されたのか?自分で勝手に振り分けただけなのか?

間違った選択の繰り返しによって、私には美肌が手に入る事のない物として諦めてしまった結果が、無駄なその後の視線への苦痛と、整膚への時間を必要とする様になるのです。

確かに、にきびは安直に向き合うには何度も何度も繰り返す、決して侮れない大きな敵でした。

しかし、ネット等で安直に調べただけの安っぽい知識だけで、決して超える事の出来ない壁として諦める事は、正しい努力をした後でも決して遅くはない。という事を、私は声を大にしてお伝えしたいのです。

普通の肌を諦めないという事は、実はそんなに難しい事ではありません。

私のお勧めする正しい努力と言うのは、

①にきび専門の皮膚科へ受診して適切な治療を受ける。

②繰り返さない様に肌の機能回復に気を付ける。

                         ・・・だけです。

全くシンプルな話です。

 

最も恐ろしい烙印

このようにシンプルな回復の手順が何故これ程までにニキビ患者を苦しめるのか?

というのが、割と若い年代で経験してしまう負の連鎖。

治っても治っても、次々と現れるニキビの繰り返しを経験してしまう事によって、

言葉では形容し難い無力感というか、敗北感という全く終わりの見えない負の連鎖によって、負け癖のような物にとり憑かれていくのです。

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敗北に慣れる男

物事がうまく運ばない事に馴れてしまうのです。全てがニキビに結び付いて都合の良い逃げ口上として使用されるようになっていきます。

仕事で上手くいかない事も、欲しい洋服が買えないのも、好きな人に好きと言えないのも

全ての理由付けに使うようになる事はとても簡単なので、一番手っ取り早い自分が傷付かない方法として選択されがちなのです。

正直今言っていて心苦しいです。

ですが逃れようのない事実でもあります。

にきびの連鎖と向き合うという事は、諦めて一生物悲しい人生を受け入れるという事 よりも、もしかすると辛いことかもしれません。

しかしながら、正しい努力をしてから、諦めるという選択をとっても遅くはないと私は強く思うのです。

 

にきび跡と向き合う正しい努力とは???